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コラム

【コラム】VAD(植込型補助人工心臓)を後押しした医師の言葉

「VAD(植込型補助人工心臓)を後押しした医師の言葉」
当事者メンバー tomo-yoshiさん

 20代で白血病になり、再発後の抗がん剤治療の副作用で心筋障害を発症しました。心臓の状態は年々悪化し、薬剤治療の効果も見られず、50歳目前で「心臓移植しかない」と宣告されました。
 心臓移植と言えば、「寝たきりの人や小さなお子さんが海外渡航して受けるもの」。
 話すだけで息切れする、横になって眠ることもままならない、など生きていること自体に支障が出ていましたが、「心臓移植なんてそんなおおごとにしなくても。まだ働けているし…」と、私が受ける治療ではないと決めつけていました。

検査を受ける決断

 転機は、主治医が代わったときに訪れました。新しい主治医は「植込型補助人工心臓実施施設」である隣県の大学病院から派遣されてきました。
 「去年まではできて、最近できなくなったことはありませんか?」と問われ、「洗濯物を干すために両腕を上げていられない」と答えました。そうやって年々できないことが増えていく、ということです。
 実際にその治療に携わってきた医師の話を聞いたことで、心臓移植を実感として捉えることができ、同時に安堵も感じました。定期の血液検査の結果では移植登録の条件を満たしておらず、「まずは検査だけでもしてもらおう。それで適応しなかったから諦めもつく」という軽い気持ちで、検査を受けに行きました。
 大学病院の診察では、「(駐車場から)診療室まで歩いてきた」こと、「仕事をしている」ことに、驚かれました。それほど悪い状態だった、ということに自分も驚きました。入院すると移植登録ができる状態にするための治療と、登録のための検査を並行して行いました。移植登録の条件はクリアできたものの、治療を進めていくなかで状態が悪化、ベッド上安静=ほぼ寝たきりになりました。すぐさま「VAD装着と移植登録」をするかしないかを選ばなければならなくなりましたが、私は決断できずにいました。

心臓移植に至る治療上の条件

 心臓移植は、薬剤、外科手術、VAD等の機器による補助循環法を用いても改善の見込みがない場合の最終的な治療法です。
 機器による補助循環治療は心臓移植登録をするための条件になります。植込型VADは心臓移植までの橋渡し治療として保険適用となります。(2021年に、心臓移植を前提にしない、長期在宅補助人工心臓治療として保険適用が可能になりました。)移植を受けるまでの待機中は、多くの患者が植込型VADを装着し自宅で過ごし、仕事復帰も可能です。
 植込型VAD以外の機械的循環補助治療を受ける場合は、入院が必要になるようです。(「心臓移植を共に考えるためのパンフレット」より)

植込み型補助人工心臓(VAD)の条件

決断できなかった理由は、VADで生活するための条件にあります。
・24時間介助者とすごすこと(1人行動禁止)
・1つ屋根の下に介助者2名以上
・病院から2時間以内に居住
治療上・生活上の制約は他にもあります。
 介助者1名は配偶者になることが多いですが、日中仕事があることなどから、同じ家に住む、家族の中でもう1名が必要になります。(これは、私が関わった病院の例です。他のパターンもあるかもしれません)
 私には介助を頼める肉親がいませんでした。その場合、夫の両親に介助者になってもらうしかありません。「当時住んでいた家から引越し、夫の実家で同居、夫は転職、私の仕事、収入はどうなる?…。問題がありすぎて、これではVADは付けられない」と思いました。

医師の言葉

 VAD装着に悩んでいたとき、担当の若い医師と話をしました。
「VADを付けないとして、最期、楽に死ねますか?」と聞く私に、医師は「楽に死ねると思いますか?」と言い、別の患者さんの話をしてくれました。
「体育会系でバリバリ仕事をこなしてした人が、VADが必要な体になった。両親はおらず、離婚して子どもとは別居、今更介助者は頼めない。介助者がいなければ、緩和ケア病院へ移って入院するしかない」と。そして私に、「すべての人に介助者がいるわけではない。可能性があるならば、死ぬことを考えるのではなく、生きていてほしいです」と言いました。
 介助者がいないだけでVADをつけることもできず、退院もできないなんて、理不尽だなと思いました。私も決めなければならない。理不尽を感じながら緩和ケア病院に移る(介助者を頼まない)か、生活環境を大きく変える覚悟(義父母に介助者を頼み同居)をするか。
最終的には、私は決断できず、夫の一声で「VAD+移植登録」を選びました。
命の選択に直接響く話をしてくれた、年の離れた若い医師のことは、いつも記憶に残っています。

第一優先は生きていること

 生活環境の激変が困る、嫌だといった感情は、全て「生きていてこそ」感じること。環境を変えずに過ごせたとしても、命が続かなければ意味がありません。
 現在、移植登録=VAD生活5年目。「楽に死ねればそれでいい」と言った自分は本当に実在したのかと思うほど、今は活動的に動いています。今の目標は「移植の時が訪れたとき、最善の体調でいること。移植後は最善の状態で退院すること」です。
 VADによって与えられたチャンスが活力と次の希望を生み出しました。移植が実現し、住む場所を自分で決めて、一人でも自由に動けるようになる。そんな日が実現することを信じています。

参考:
日本臓器移植ネットワーク  https://www.jotnw.or.jp/
補助人工心臓 – Wikipedia
「心臓移植を共に考えるためのパンフレット」

◆本コラムは、with Heartプロジェクトで開催したライティング講座を受講された方のコラムです